前回書いたこれ(
>>162)なんだけど。
最大の問題点は「言わないことを他者のためと思ってる」ことにあると思ってるんだよね。
本当はどうか分からないのに誰かのためなんて、さも自分はいいことをしてあげてるみたいな。それは傲慢。なぜなら相手の意思決定権を奪ってますから。
これよく見るよね。
「あなたのためにしてあげたのに!」
「俺はして欲しいなんて言ってない!」
ってやり取り。
事実と感情と想像を分けられてないやつ。これを問題視してるんです。
こうなってはいけないから、事実だけを抜き取る。仮説をたくさん並べ立ててみる。最後に感情はこうって書き出す。
一旦口に出す前に止まれたり「それって本当はどうなんだろう?」って考えたりすることが大切なことで、嫌われたらどうしようって不安になったりすること自体は、何の問題もないと思う。
むしろ不安というものをあたかも悪いもののように思う人たちもいるけど、何も不安を感じなければ大地震でも平然として、熊が目の前にいても逃げないから食べられます。
…なんて、これは極論だけどね。でも嫌われたらどうしようって思わない人は、ずけずけとやなこと平気で言っちゃう人になるでしょ。
不安があるからこそ、考える切っ掛けになり得る。
え?その不安をどうするかが問題だって?それはそう。そこは個体差があるので何とも言えないところ。不安を情報として扱う認知科学や心理学の観点で観測する人、感情をそのままに受容する人、行動する人、避ける人、存在の一部や性質として扱う人、いろんな人がいるからね。
俺はそもそもぼんやり世界を生きてるせいで、感情を観測しても分析してる間にすぐ流れていくし。この辺は離人症傾向というか…現実感消失のせいだと思うから、そのうちこの話もまた書きます。
書きたい話が増えるね。
この日記はあの人に俺はこんな奴ですって伝えるところでもあるから、いっぱい増えるんだよ。誰かのためのコンテンツとして書こうとしてるより、あの人に読んでほしくて、あの人が好きすぎてたくさん書いてるからね。
と、話が逸れたけど、今回は珍しく結論のない話でした。
不安になることは悪いことじゃないってことだけ、書きたかったんだよ。