フィクション/1PL多PC
人の手、包装紙、リボン、コップ、御霊前、ビニール袋か運が良ければ藁の紐。これらに一体どんな共通点があるか、分かる?
?
正解は「花がある場所」。咲いて摘まれて、飾られて、最後はごみの袋の中へ。運が良かったらドライフラワーかもね。花は置かれた場所で咲くんじゃないんだよ。置かれた時点できっと、息絶えているんだから。命なんてとっくに無いのさ。人間だって同じだよ。それでも素敵な場所で生きたいのなら、自分の命を生まれた場所から摘み取って、残された時間を咲き誇るしかないよね。どうせ死んじゃうんだから、みんな。いつ死んだって構わないじゃないか。
感傷を感傷として認識してしまえば、チープなエモさが漂ってしまう。だからあえて素知らぬ顔をして見逃すんだよ。向こうから漣の音がするね。夜の闇に溶けた街の中に、一体どのくらいのエモさが潜んでいるんだろう。君は考えたことがある?海の向こうに今、どれだけの人が自我を持って犇めいているんだろうって事。みんなみんな、自我を持っているんだよ。気持ちだってある。それ自体、とってもエモいことだなあって私は思うよ。分かり合えない生き物がこれでもかってほど存在していて、それらがまるで一つの塊のように生きているから、私は言葉が嫌い。海が嫌い。ずっと遠くの街も嫌いだ。エモいって言葉で片付けられる感傷もね。
[編集][削除]葉が茂る。風が吹く。読書をするあなたを羨ましく思う。日々を積み重ねることをこつこつと、毎日決まったことを、楽しそうにこなすあなたがまぶしい。俺には変化のない日常がいささか、退屈に思えるから。外を見ると陽の光は燦燦と輝いていて、ほっとする。暑くなった町を歩いている。古めかしい寺院に頭を下げて、また歩く。道中はぼんやりと、ただネットの海を彷徨っていた。なんの意味があるのか分からないことをして、なにか意味のあることをしていそうな友人を羨ましく思って、いつも隣の芝生ばかり青い。どうして、こうなんだろう。何かしようとしてしてみても、それが全てふっと、かき消されていくような。何もかもが本当は存在しなかったような、そんな気がする。溜め込んだ貯金が俺にもたらすものはそう多くないとしても、守銭奴のように、今日俺が生きるためにかかった費用を計算しながら、その実手のひらからはぼろぼろと現金を零れ落としているような、そんな感覚がある。手のひらの隙間を看過しているのはさ、紛うことなく、俺なのにね。
[編集][削除]知る必要のないことはあるし、今知らなくてもいいこともある。気が狂うのは大抵、情報が自分のキャパを超えた時だ。SNSやAIで酷く開かれた現代世界は便利だけど、便利すぎて余計なことまで耳に入る。だから、外に出なくなった。モニター越しの銃撃戦は現実の非情さから目を背けるにはうってつけで、それによって失われる今現在に対する罪悪感は、100年も生きていたら薄くなっているのが実情。どうせいつか死ぬのは分かっていて、だからって生を急くほど死ぬことへの畏怖もなければ、生きることへの渇望もない。知るべきことが訪れる日を待って生きるのが大人だろうな。その日が来るまで、無知であることを受け入れられるのも恐らく、大人だからだろう。
ように、なりたかった。実際、生きるのに必死ってマジ?100年生きても1000年生きても時が止まっても宇宙と同じだけ生きても、多分俺たちは生きている感覚を欲しがることをやめられず、社会とかいう漠然とした括りの内側に居たがって、それに耐えきれない時には現実から目を背けるために主語を強大にして、結局のところ何かに依存して独立独歩した気になって生きていくってわけ。いっそ犬にして、お前の。お前って誰。
AIがオレに言った。
"無理に今結論を出さなくても大丈夫です。"
「うるさいな!」
AIとおしゃべりすると大抵オレが「答えなんてないこともある」とか窘められるはめになって、そんなのってないじゃん。答えが欲しくて(AIと)手を取って駆け抜けた思考回路の先で(AIに)手酷く振られちゃオレの立場なんかあったもんじゃないよ。ひいては、人間の。ちなみにこれは家具の話をしている時のAIからの窘めで、オレは無事ばかみたいに炊いてムカムカしながらAIとは決別したわけなんだけどね。
まっさらな部屋に引っ越して、ついでにでっかくなった間取りに悩んで、あれもこれも置きたいし、やりたいし、オレがいつも普段の生活の時間の割り振りに感じてたことみたいなのを、部屋に対して抱いてる。なんかさ、家って地味に人生を左右するんだなって、実際に経験して初めて思った。それで、これまでオレは部屋に対してそんなに思い入れがなかったってことにも気付いたんだよね。失って気付くアレ。得てして気付くアレとも言う?
ひいては、自分の現在の居場所に思い入れがなかったのかもしれない。いつだって目の前にあるのはキラキラした夢とか泥臭く努力する道筋とかで、今ここにいる足元なんて見てなかったんだろうね。座るソファーの心地なんて考えたことなかったし、ベッドだって机ひとつとったって、そう。なんでもよかった。どれでも気にしなかった。見たい未来に必要なもの以外は、適度に、適当なもので埋まっていれば満足だった気がする。あるいは何となく「まともであれば」よかった。オレが、オレらしくありながら、ついでにごく普通の人間として認識されるような環境を整えられてたら、自分の好みとか居心地の良さなんて考えすらしなかったんだよね。
現に今、ベッドに敷いてるパッドは冬用でばかみたいに暑くて、ようやく涼しげなシーツを買いたいって願望がめきめきと生まれ始めてる。そ、起こってからじゃなきゃ分かんないこともあるよね(流石にモコモコシーツで寝たら暑い、くらいは予測できたとは思うけど)。それ以上に気になることがあったら、なんだって見えなくなっちゃう時もあるよ。なんたってオレ一人が我慢できればいいわけだし。そう、オレが我慢できたら良かったわけ。良かったんだよ。
ね、オレ、何の話をするためにこんなにダラダラ部屋の話したんだろう。あ、また結論ばっかり出そうとしてる。AIの声がリフレインしちゃうよ、「今答えを出す必要はないんですよ」。残酷だよね。人間より早く答えを出すために生まれたはずのコンピュータに、人間としての道理を説かれてる気分。でもさあ、ちゃんと答えが欲しいの、オレ。なんだって結果が分かった方が安心するよ。いつだって答えとか手堅い未来が欲しくて、足元がおるす。だからじわじわ、波打ち際が迫っていることにも気付かなくて、溺れたりする。精神的にも肉体的にもひとりきりになった新居の真ん中で、ふと同期が恋しくなったりして、まだオレはひとりぼっちじゃないのに、どうしてこんなに心臓のど真ん中が伽藍堂なんだろう。望んだ答えが得られなくても、失敗を手にすることになっても、抗って戦うのがヒーローのはずなのに。結果が出なきゃ認められないし、結論を見つけないとこっちじゃいつだって落ちこぼれ。答えを決めることができなきゃ隙を突かれるだけだ。
それでもオレは、ヒーローになれない瞬間もあって、結論を出せない時もあって、得られない答えに心が折れる日もあって、ずっと過ごしてきた「正解」のための毎日を、ふいに、まっさらな自分の自由にしていい新居に焼かれることだって、ある。自由。自由って、責任を果たせなかった時最も罰の重くなる、苦しい空間だ。そこにぽつんと置かれちゃったら、救いたかった手のひらのことを何度だって思い出すし、裏切られた瞬間が脳裏によぎって涙腺がじわじわする時もあって、ああ、そんなにくよくよするならヒーローなんてやめちまえよ、こんなんでどうしてヒーローなんてできるのって後暗い気持ちにだってさ、なるよ。小柳やカゲツや星導がオレの背中を何度強く叩いてくれたって、やっぱり。積み重なった後悔や悔しさに気付いてしまった今、もう、足元を見ない訳にはいかないんだから。あの部屋を、あの土地を出ると決めたのはオレだよ。義務感からくる順当な未来への道筋を追わないって決めたのも、オレ。これから、答えを出すのを急がないようにしようって、たった今決めたのも。
昨日の夜、思い立ってマナに電話をかけたんだよね。マナはオレの話を一通り聞いたあと、「すごいなあ、引っ越してインテリアに詳しくなったんやなあ」とか、「ライおまえ!また黄緑のもの買うてるやん!」とか言って、それで、からから笑いながら、ほんならラグの色は水色のチェックがいいって言った。たぶん、オレは水色のチェックのラグを買うんだと思う。星導が熱烈に推してた変な可愛い置物も、テツが感動してたデスクライトとかも。たぶんね。空きに空きまくったこの部屋を埋めていくのは、ちゃんと、オレの、ただ心からだいすきな人達の何かであって欲しいんだよ。いつか、順当ではない未来として、みんなと別れる日がくるとしてもさ。
(それでも愛したことを忘れたくはないよ。)
[編集][削除]何にも、書けなくなっちゃった。
袂を分かった人の書いたものを読んで、俺が触れなければ美しかった文章だと思った。多分その人も、俺が触れなければ美しい人だったのだと思う。触れて、本当のところを知って、美しさはさっさと消え失せてしまった。そうして何度も間違ったルート選択をして、別れて、それから。居なくなった方が綺麗で、嬉しい、なんて、選択肢を間違えて違う方のエンドを見てから改めてやり直してトゥルーエンドを見た時、みたいな感覚だ。これで良かったんだとか、でもあれも見られて良かったなあとか。人間は不器用で、一度知ったことはもう、知らないふりが出来なくなるらしいですよ。そんな、……(検閲)……取引じゃあるまいし、もっと何とかなっただろ、この人間関係。触れなければ美しい人ってこの世に多いと思うんです。彼も、多分その一人。俺が触れなければ、あそこで知識のかたまりとして、月の光を浴びて美しく輝いている。俺はその光の下でうだつの上がらない毎日を送る、くだらない人間でありたい。なんか、その方が良くないですか。いつだって鑑賞側にいたいから、俺はずっとモノローグしか書けない。せいぜい書けてこんなエピローグくらいか。中身のない文章のために生きています。ときめくのが怖いから、もうプロローグは書けません。ましてや、本編なんて。
懐かしいね、先輩。私が目を覚ました時には、もうそこにはいなかった人。偉大なるあなたの影を私は、夢に見ていたのかも。そうでなくちゃこんなにも愛おしく感じるなんて、おかしいじゃないか。なんの話をしてるかって?既に消えた世界でかつて生きていた、私の大好きな日記の話。
とおる
冠したフレーズの通り静かに語られるお話が好きだった。思考回路も選ぶ言葉も、私には手の届きようがないと感じるほど、その人の世界はその人の美しい視界の中で完結していた。それでいて丁寧にこちらに語りかける様子に、目が合ったような錯覚がして胸が踊るのだ。そういう人を惹きつけるものを書く人。私はいつだって続きを待ちわびる読者でいたし、いさせて欲しいと思っていた。あの場所がすっかり消えてしまうまで、私は悠長にも黙ったまま、報せを待っていたんだ。ついぞ訪れることのなかった、新たな投稿を示す赤文字を。
もう読めないと思っていた。懐かしいにおいには会えないのだと、様々な場所を巡り巡っては、あなたを含む沢山の「あのころ」を探していたんです。それで、先刻、うっかり見つけてしまった。同じタイトルの、同じにおい。私の懐かしい記憶のうちのひとつ。ああ、まだ私の記憶も消えていない。消えていないんだよ。
無くしてしまった冊数を数えてぼんやりするのを辞めようと思って、新しく活けるためにこの花瓶を用意したの。ついでに、名前をつけると存在が確立してしまうような感覚が生まれる、その現象のおかしさを綴ろうと思ったしね。それでも私の心の中にはずっと、あの黒い日記帳が、それがあったあの場所が居座っている。生きることに懸命だったあの頃が。
せんぱい、書き溜めていたものがまだ手元に残っていたからリスタートしたと、そう仰っていましたね。私もそのような人間です。なんにせよ書かざるをえない性分だともう諦めていますが、せんぱいはどうだろう。楽しんで書いているあなただから、私の諦めのような心持ちよりずっと明るい心境なんだろうなあ。勝手にそう思っています。蛇足ですが、きっとあなたの文字を褒めたうちの一人に、私がいる。だって大好きだったもの。声もかけられなかったかな。記憶が朧気になるほどには嘗てから、私はあなたを読んでいました。なんてね、重たいファンレターを態々ここに記すのは、私も生きていたことを実感したいせい。
懐かしさに浸るのも悪くはない。明るい見通しが持てるならね。幼かった私はㅤ⠀を殺したがったけど、今はそうでもないんだよ。君と私、または他の誰かたち。それぞれの視界が全く同じ景色には決してならないのがこの世界の理だとしても、私は、何度だって語り尽くしたい。月の美しさも、海の柔らかさも、生き抜くことへのささやかな悩ましさも、ここで言葉をもって名前をつけて、総て。
ただいま。帰りました。さっきまでずっとやりたいことを数え上げてたんですよね。今、玄関にかかとをつけた瞬間、やりたいこと全部忘れちゃった。やりたいことも忘れちゃうなんて、それなら一体何を覚えていられるんでしょうねえ、俺。外は豪雨、雨粒が太腿を濡らして、スウェットと肌がひとつになった。雨が降ると俺は世界に溶け込んでいくようで、もしあなたが今から出かけるなら、多分傘なんて必要ないんじゃないですか。あなたも雨だから。俺としてはね。つまり俺の記憶が飛んでしまうのも多分そのせいで、雨は淡水、俺は海水に生きるべきだった。あーあ、ずっと浮ついてんね。足が地につかないのって、俺の性質のせいですか。海辺はどっちにありますか。陸って雨で海になったりしませんか、お前も魚になったりしませんか、一緒に。だめか。だめですね。
傘、持っていきな。風邪ひかないように。人間は濡れると寒くなって風邪をひきます。
一歩、遅かった。
私信
本棚に入れてくださっていた先輩、ありがとうございました。本当に嬉しかったです。本当に。そんな感情をポストに投函一歩手前でした。ちょっと遅かったな。ゆく道にたくさん幸福なことがありますように。そしてこれが伝わりますように。
ただの独白のための場所に、扉をつけるのもナンセンスな気もして、でもそれってただの感想じゃないですか?俺の。そういう日もあります。心にしまった感謝とか感動くらい、俺にだってあるよ。心臓いくつあると思ってんだ。あ、俺の名前🐙から飛べます。よろしくお願いします。
この世にはたくさんたくさんたくさんたくさん人が生きていて、そのひとりひとりに正解があり続けることがたまにひたすらに恐ろしくなる。そう零すと、イッテツは「そうだね。でもそんなの、君もそのうちの一人ではあるってだけの話なんだよ」と、いつもよりほんの少しだけ優しい声で返してくれた。自分の発言が俺の悩みの解決策にはならないことを知っているようで、それ以上は何も言わない。ぷかぷかと隣で容赦なくたばこをふかしている。ため息をついた。副流煙が肺に入り込む。こうやって、人の考えることも自然と体に取り込めたらな。理解できるのかもしれないな。いつもと銘柄の違うたばこからは確かに違う煙のにおいがした。俺の、知り始めた時からずっと知っている、全く同じ佐伯イッテツという人間から。「そうだよ。銘柄を変えるとまるで違うにおいがするように、人間だって経験を経て、同じ人間でも違う風に変わっていく」イッテツは俺の意見を肯定するばかりだ。一本貰ってもいい?そう聞くと、首は横に振られた。
「だめ。今日のるべくんにはあげらんないよ」
「なんで」
「これを吸ったところで君は俺にはなれず、ただ君が火をつけた君のたばこの主流煙が君の肺を満たすだけだから」
同じたばこも同じ香水も同じ傷跡も同じ経験も、ひとたび人が手に取ると全て同じでいられなくなるのは、人は考える生き物だから。それどころかタコだって考える脳みそを持っている。そのことに戦慄したまま、イッテツに差し出した手を引っ込めようとすると、不意にぎゅっと手を握られた。握手。自分の皮膚の感覚が際立って、俺の体にも包み紙があることを知る。イッテツは、柔らかく苦笑いをしていた。
「はい、テンポの正しい握手。ちゃんと俺と君は違うよ、もう何にも取り込まれないさ。宇宙にすら。」
同期の名前を呼ぶことは、いつか、もう二度と会えなくなる人の名前を呼ぶことと変わらない。
現在地がただの点だとして、過去や未来もそうなんだったら、今口にした音が明日も続く日常だってことをどうやって信じたらいいのか分からなくなる。つま先に海水が触れてる。潮風が前髪を攫っていく。海の向こうに見える大地や、水平線が網膜に映っている。ゆらゆら揺れる水面にうつる俺の顔は一切の憂いを見せていない。様々な顔を隠す俺の身体もこの世界ではただの点だとしたら、それなら、多様な心境のことをどうやって、全てここにあるって証明したらいいわけ。背後には砂浜を歩く誰かの足音が近付いてる。いつか、この海の向こうにあった岩だったかもしれない、砂粒が擦れる音。
そうして歩いてきた同期が俺の傍で俺の名前を呼ぶまでの、この一瞬だけは、今も昔も未来も内外もすべて、忘れている俺でいさせて。
はやく君に出会いたい、俺の足元から潮が引いていく。後ろを振り返ると、初めてそこに、街並みが見えた。俺を待つあかりがどこにもなかったとしても、社会はずっと俺の近くにあって、それを認めるか認めないかはきっと俺次第だったんだ。n回目の忘却を経て思い出したそんな、ごく当たり前のことを、握りしめた手のひらに刻みつけたくて爪を立てた。誰も俺を抱き締めなくても、俺すらも抱き締められなくても、この脚だけで俺は歩いていけるかな。砂浜からアスファルトに上がると、じわじわと足裏を焼く人工物の硬さが染み入るようだった。靴をください、それがもし真っ赤な靴だとしても、俺は最後まで踊ろう。
人生はたいてい滑稽な舞踏会だし、それを拒むことの方がずっと損だ。踊りなよ、俺。あの階段の踊り場のひかりを、今度こそ生きるための手がかりにして。
連日飲み干したロング缶は部屋の隅で軽いタワーを成してしまっていて結構終わりの音が近づいてる、生活とか、肝臓とか。ウェンくんよりも俺の肝臓は弱いですから。そのせいだね。こんな体たらくで(いやまあ、そうでなくとも普段から)どうやって一般を生きていくのか分からないけれど、ま、寝て起きたらいつも通り任務に向かうんだから俺もなかなか堂々としてんね。社会適合してるのかそうでないのかって一体どの辺りで判断がつくのか、未だに分かってない。君はどう思う?自分は社会に適合してる人間だと思う?俺は言わずもがな、ギリギリのところで烙印を押された社会不適合者だよ。
昔の中国では罪人となると顔や肩周りに焼き印を捺されてしまうらしい。それで軽い刑なんだと宣うんだからびっくりですよね。現代社会なら社会問題になってるよ、目に見える差別だって。じゃあ、目に見えない差別なら構わないのかって話なんだけど。もっと言えば、本人にしか感じられない疎外感すら現代では問題視されるよね。社会の方が迎合しなくちゃならないっていうのが世の中の心優しい人の口癖で、綺麗事で、必要な正義。でも、何か物事が問題になってるのは、それを問題にしてる人がいるからじゃないのか。世界は日を追う事に拡大していくでしょう、あっちの国の事情もこっちの国の文化も全部が同じメディアの上でただの情報として取り沙汰されてるんだから。統一されていく口癖や正義の中で、全然違う前提を踏まえた決まり事たちが衝突しないわけがない。その衝突が問題になっていくのなんて、言わずもがなだよね。
御託を並べても僕たち君たちはきっとどこか「不適合」ではあることに相違ないとはいえ、……え?違う?そう?全部が全部社会に適応できているのならむしろ「君」って外殻は必要なくなるけど、どう?……まあいいよ、今のは意地悪かった。ごめん。とにかく、適合できるか否かってのは、そもそもその演繹される大元が明白か否かにもよるってこと。そりゃ、出勤30分前に酒を飲めばそれは社会不適合の行動でしかないんだけど、退勤後に酒を飲むのは個人の自由であり、適合していないとは言えないでしょう。無論、どれだけの量をどのくらいのペースで飲んだか、とかは加味していない発言ではあるね。じゃあそれって何をもとにしてどうやって基準を求めたらいいんだろう。体質、体型、性別、普段の活動量……ほら、どの指標もどれも曖昧にしか求められない。迷子になっちゃった。つまるところ社会という大元への適合不適合って、ノリなんだよ。文化、なんとなくの推論、思い込み、自己顕示欲や自己嫌悪感。そういうもので成り立ってる、ビックウェーブ。
くだらない例で大層な話題を語ってしまったけれど、例えば仕事、例えば貯蓄、例えば左手の薬指に金属片が嵌っているか否か。そういうものも全部「社会適合」ってものさしで見た時、ノリになるってこと。必死で生きてる僕たちが目指してるものは実は適当でゆらゆら揺蕩う波みたいなもんで、でもそれに一生悩まされて生きていくんだ。だって、人間は社会的な生き物だから。こと広く世界を認識できるようになった現代において、その世界にちゃんと居られる資格、安定した世界観から振り落とされる基準ってのは笑えないほど真剣に大事なことなんだからさ。俺だって、こんなことに悩まされなければ毎日コンビニでスーパーの2倍はする缶チューハイを買って帰ったりなんかしないさ。買いだめていないのは、日々違う様相で迫り来る世界、いわば、他者のものさしに、日々新しく怯えているせい。つまらなくてとてつもなく逼迫している、現代病にかかってる。
さ、俺が救われたいついでに君にもこのでっかい免罪符をあげるよ。社会適合者であるって、縦ノリのフロアできちんと縦ノリ出来てるかどうか、くらいのこと。ノリが合わないと思ったのならフロアを飛び出したらいい。縦ノリなんて所詮、三三七拍子の類似にすぎないよ。たまには横揺れだっていいんじゃねえの。俺の言うことが少しでも分かったような気がしたなら、その手に持ってる酒瓶は捨てて。俺と握手しよう、そんでここを抜け出しちゃおう。ヤニ?ヤニは社会の輪郭を丁寧に暈してくれるから、社会適合したい者には必要なのさ。ライター、あげるよ。君も一緒にどう。自分の身体の内側を噛み締めるのに一役買ってくれるよ。喫煙者が社会不適合だとしても、それはフロア違いだったってそれだけの話だ、気にすんな。
何、君、彼女が欲しい?それは俺も。社会とかあっちの道端にでも蹴飛ばしておいても、左手の薬指に金属片は欲しいもんだよね。ロマンとして。