フィクション¦1PL多PC¦浅識独白
何かを口にする時、それは必ず言葉になってしまう。ゆえに、私の思ったままをそのままそっくり君に伝えることはできない。君の見た林檎の色は、私の思うその色と同じだと言えるだろうか。海の色を緑色だと言う君が好きだった。私には海が、緑に見えたことがなかったから。林檎は青色をしていた。あおりんごなんて言うくせに、あれって緑色だよね。君は、草むらの色だと言ってあおりんごを齧ったんだ。甘い芳香がして、それはまるで檸檬の皮を握り潰した時の、あの香りのようだった。
言葉で言い表せないものに、私は恋をする。
人の手、包装紙、リボン、コップ、御霊前、ビニール袋か運が良ければ藁の紐。これらに一体どんな共通点があるか、分かる?
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正解は「花がある場所」。咲いて摘まれて、飾られて、最後はごみの袋の中へ。運が良かったらドライフラワーかもね。花は置かれた場所で咲くんじゃないんだよ。置かれた時点できっと、息絶えているんだから。命なんてとっくに無いのさ。人間だって同じだよ。それでも素敵な場所で生きたいのなら、自分の命を生まれた場所から摘み取って、残された時間を咲き誇るしかないよね。どうせ死んじゃうんだから、みんな。いつ死んだって構わないじゃないか。
感傷を感傷として認識してしまえば、チープなエモさが漂ってしまう。だからあえて素知らぬ顔をして見逃すんだよ。向こうから漣の音がするね。夜の闇に溶けた街の中に、一体どのくらいのエモさが潜んでいるんだろう。君は考えたことがある?海の向こうに今、どれだけの人が自我を持って犇めいているんだろうって事。みんなみんな、自我を持っているんだよ。気持ちだってある。それ自体、とってもエモいことだなあって私は思うよ。分かり合えない生き物がこれでもかってほど存在していて、それらがまるで一つの塊のように生きているから、私は言葉が嫌い。海が嫌い。ずっと遠くの街も嫌いだ。エモいって言葉で片付けられる感傷もね。
[編集][削除]葉が茂る。風が吹く。読書をするあなたを羨ましく思う。日々を積み重ねることをこつこつと、毎日決まったことを、楽しそうにこなすあなたがまぶしい。俺には変化のない日常がいささか、退屈に思えるから。外を見ると陽の光は燦燦と輝いていて、ほっとする。暑くなった町を歩いている。古めかしい寺院に頭を下げて、また歩く。道中はぼんやりと、ただネットの海を彷徨っていた。なんの意味があるのか分からないことをして、なにか意味のあることをしていそうな友人を羨ましく思って、いつも隣の芝生ばかり青い。どうして、こうなんだろう。何かしようとしてしてみても、それが全てふっと、かき消されていくような。何もかもが本当は存在しなかったような、そんな気がする。溜め込んだ貯金が俺にもたらすものはそう多くないとしても、守銭奴のように、今日俺が生きるためにかかった費用を計算しながら、その実手のひらからはぼろぼろと現金を零れ落としているような、そんな感覚がある。手のひらの隙間を看過しているのはさ、紛うことなく、俺なのにね。
[編集][削除]知る必要のないことはあるし、今知らなくてもいいこともある。気が狂うのは大抵、情報が自分のキャパを超えた時だ。ネットやAIで酷く開かれた現代世界は便利だけど、便利すぎて余計なことまで耳に入る。だから、外に出なくなった。モニター越しの銃撃戦は現実の非情さから目を背けるにはうってつけで、それによって失われる今現在に対する罪悪感は、100年も生きていたら薄くなっているのが実情。どうせいつか死ぬのは分かっていて、だからって生を急くほど死ぬことへの畏怖もなければ、生きることへの渇望もない。知るべきことが訪れる日を待って生きるのが大人だろうな。その日が来るまで、無知であることを受け入れられるのも恐らく、大人だからだろう。
ように、なりたかった。実際、生きるのに必死ってマジ?100年生きても1000年生きても時が止まっても宇宙と同じだけ生きても、多分俺たちは生きることをやめられず、目を背けるために主語を強大にして、何かに依存して生きていくってわけ。犬にして、お前の。お前って誰。