34年の人生のなかで、日記を書こう!と思い立ったことが、何回かあります。小学生のころの宿題で出された絵日記や一行日記、高校生のときにスケジュール管理の習慣を身につけようという学校の方針で強制的に持たされた、縦軸に時間があるウィークリー手帳に日記のように一日の生活を書く課題。どれも等しく苦手で放置していたのに、個人的に日記を書こうと思う瞬間があったのは、いま考えるとちょっと矛盾している気がしないでもない、ですね。人間とはそういう生きものといえば、そうなのかもしれませんが。 THEORY/UVERworldKagami Hayato指針
アナログ日記は続いた経験が一度もなく、初めて続いた日記はスマホアプリでつけた日記でした。だいたい一年くらい継続したと記憶しています。「これが嬉しかった」「ふらっと入ったラーメン屋さんが美味しかった」「この出来事が悲しかった」と、小学生もびっくりするような語彙力のない日記を書き殴っていましたが、書いた文章をアプリに内臓されたAIが分析してくれるんですよね。「加賀美さんにとって今週はこんな週でした」みたいに。それ以外にも「加賀美さんにとって音楽は絶対的に欠かせないもの」とか「人間関係で悩むことが多いですね」とか。書いた文章に対して、想像していたよりもはるかに分析結果が精度高く出ていて。課金プランが年額一万円程度で出ていて、真剣に課金するか悩むほどでした。AIの進化の速度、想像していたよりもだいぶ早くないか?!と驚いた記憶がありますね、当時。
言語化がすべてだとは思いませんが、言葉という形でアウトプットするには一度、自分の気持ちを正確に把握するという行動がどうしても必要じゃないですか。なんとなく寂しい、なんとなくつまらない、なんとなく苦しい。当時のふんわりと沈む気持ちの原因を知りたいと思って日記を書き始めたんですよね。いつか分かるかもしれない!と。結果としては、いい経験になりました。いまとなっては言葉にしないと思考が整理できない、になりつつあって、いいのか悪いのか分かりませんが……。
自分の気持ちを整理するため、向かいたい方向を見誤らないため、自分のなかの指針を確認するために、文章を書いています。四季凪さんへの気持ちも。「好き」は具体的にどこが好きなのか、楽しかったのは行った場所なのか、した行動なのか、見たものなのか。記録の側面ももちろんありますが、それ以上に四季凪さんのこと考えて、文章を綴るのがひたすらに楽しくて。日記を書いている瞬間は、頭のなかに四季凪さんしか居ませんからね。
筆を折るのは、しばらく出来そうにありません。掲示板がなくなろうと、利き手が失くなろうと、それが「止めよう」と思う理由には絶対にならなくて。当面は日記を書き続けるんだろうな、とぼんやり思っています。