俺の結論から言えば、把握ができても理解をすることは難しい。それでも、理解しようとすることが何よりも自分を大切にするための行動になる。把握っていうのはさ、状態の認識であって。理解はどうしてその状態になったのか、なんだよね。つまり把握はすぐできても理解までとなると意識してやらなかったら難しいということです。そして意識をするということはね、疲れるんだよな。疲れることをずっとするというのは限界があるしそもそも好んで疲れに行く物好きはなかなかいない、だから俺は把握は出来ても理解は難しいって思う。そもそも、理解してしまうと自分の好きなところも見つかるかもしれないけれど同時に嫌いなところも見えてくる可能性だってある。というか、「本当に理解する」なら嫌いなところすらも認める必要があるんだよな。それでも嫌いなところを把握した後にもう少し進めば自分の嫌いなところを受け止められると思う。ある時の自分が覚えた自己防衛、生きてきた環境。いろいろとあるでしょ、自分が生きている状態を維持できたのは今の自分が嫌いだと感じる部分のおかげかもしれない。そう思うとさ、嫌いなままでも赦せはするんじゃないかなって。俺はそう思う。あの日の弱さも、甘えも、不本意も。完璧な理解はきっと不可能だけど、理解しようと思考することで自分を大切にできるなら理解しようと考え続けることは大切なことなのかもしれない。